吐く息が白い。
 ポケットにつっこんだ手の先が、しびれたように痛い。
 今日は冷え込むといっていたな、とぼんやりと考える。
 約束の時間は、7時だった。
 必ず行くから、と言っていたことを、思い出す。
『クリスマスには、一緒にいたい』
 そう言い出した自分に、あの人はめずらしく困ったような顔をして。
 しばらく何かを考えるかのように、視線をさまよわせた。
 もしかして、何かもう予定が入っているのだろうか。
 あるいは仕事が忙しいのかもしれない。
 困らせるつもりではなかったのだ。
『そういや、仕事忙しいって言ってたよな』
 強がりではなく、言った言葉だ。
 いつも、忙しい時間を縫って、自分と会ってくれていることを知っているから、我侭だけは言いたくない。
 けれども。
『少し遅くなるかもしれないが……』
 あの人は笑ってくれた。
 そして言ったのだ。
『必ず行くから、クリスマスの夜は一緒に過ごそう』
 と。

 この時期になると作られる巨大なクリスマスツリーの前には、彼と同じように人待ち顔の男女が大勢立っていた。
 時計を気にしながら辺りをきょろきょろしている者、流れる人波に視線を走らせるもの。
 様々な人たちが、誰かを待ち続けている。
 そして。
 自分も、確かのその中の一人なのだ。
 不思議だなと思う。
 こうやって、ぼんやりと流れていく人の波を見ながら、あの人を待ち続けるのは、心地よかった。
 息が白くなるほどに、外気は冷たいはずなのに、寒いとはあまり感じない。
 むしろ、どこか心の奥が、暖かい思いで満たされているようだった。
 あの人は決して約束を破らない……そんな気がするのだ。
 信頼しているのとも違う。
 尊敬しているのとも違う。
 なんといえばいいのだろう。
 大事で、必要で、そして……。
 ふと、呼ばれたような気がして、顔をあげる。
「大月さん」
 知らずに口元がほころぶ。
 会えるだけで、こんなに幸せなのは。
 ……『好き』だからかもしれない。
 心の中で、つぶやいて。
 彼は照れたように下を向いた。


 少年はあまり我侭を言わない。
 そんな彼が急にその言葉を口にしたとき。
 あろうことか、彼は困ったような顔をしてしまった。
『クリスマスには、一緒にいたい』
 恋人同士であれば願う当然のことのはずなのに。
 仕事が忙しいという事実を真っ先に思い浮かべてしまった自分が情けなかった。
 彼とて、目の前の少年と一緒にクリスマスを過ごしたいのだ。
 しかも、自分がそんな表情を浮かべたことに対して、少年は少し寂しげな顔をしてしまった。
『そういや、仕事忙しいって言ってたよな』
 だからいい、と少年は言う。
 いいはずがなかった。
 自分は、この少年のまっすぐな瞳が好きで、時々見せてくれるはにかんだような笑顔が見たいのだ。
『必ず行くから、クリスマスの夜は一緒に過ごそう』
 無理しなくてもいいのに、と言いながら、彼の言葉に少年は笑った。
 その嬉しそうな様子を見るだけで、幸せな気持ちになれるような気がした。

 待ち合わせ場所に指定していた駅前に彼が着いたのは、約束の時間を30分も過ぎた頃だった。
 少年は携帯を持っていない。だから、遅くなるという連絡も取れずにいた。
 怒っているのだろうか?
 それとも、不安に思っているのではないだろうか。
 知らず知らずのうちに足早になった彼の視線に、少年の姿が映った。
 華やかな光で彩られた巨大なクリスマスツリーを見上げている。
「火足くん!」
 口の中で小さくつぶやいた言葉が聞こえたかのように、少年は顔をこちらに向けた。
 彼の顔を見つけると、ほっとしたように顔をほころばせる。
 その笑顔を見たとたん、心の中がふと暖かくなったような気がした。
 少年の唇が動いて、『大月さん』と彼の名前を呼んだとき、自分も笑顔になるのを感じた。
 大事だからなのだろう。
 大切だからなのだろう。
 好き……だからなのだろう。
 そんなふうに自然な笑顔を浮かべることができるのは―。


「すまない、遅くなってしまったな。待っただろう?」
 彼がそういうと、少年は「そんなことはない」といってまた笑う。
 嘘なのはわかっていた。
 鼻の頭が、少しだけ赤くなっていたり、背中が震えたりするのを、彼が見逃すはずがない。
「大月さんのほうこそ、仕事大丈夫なのか?」
「ああ、ちゃんと終わらせてきたよ」
 そういいながら、彼は少年の指先に手を伸ばした。
 思ったとおり、すっかり冷え切っている。
 驚いたように引こうとした手を強引に握り締めた。
「手袋は持ってこなかったのかい?」
「……忘れたんだよ」
 途方にくれたように言う少年の顔が愛しかった。
「それより、大月さん。あんたの手が冷えちまうだろ」
「遅れた罪滅ぼしだよ」
「すっげー、恥ずかしいんだけど……」
 少年はそっぽを向きながらそう言ったが、彼の手を振り解くことはなかった。
 かわりに。
「時々、強引なんだよな、大月さんて……」
 とつぶやいた。


「メリークリスマス」
 互いの耳にしか聞こえない小さな声が、ひとつに重なった。
 そっと唇を触れ合わせる。
 それは、ひんやりと冷たくて。
 けれども、どこか暖かい感じがして。
「来年も、その次も、ずっと一緒にいられたらいいっすよね」
 長い口づけのあと、少年はそう言った。
 それは二人の小さな願いではあったけれど。
 何よりも大切な思いだった。

『どうか、ずっと、貴方と一緒にいられますように』


クリスマスSS第2弾です。イラストとはあまり関係なさそうなシチュエーションになっちゃいましたが……。彩風さん、ごめんなさい〜!

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